TOP

コスモニュースへ寄稿

「教育」に想うことなど
現代文科講師 結城敦司

 ある昼下がり「COSMO news」の原稿を書こうとしてると、小春日の暖かさにうとうとしていました。

 戦前までは複線的だった教育システムが、戦後以降いくつかの例外はあるものの基本的には6・3・3・4制へと単線化されました。これはアメリカ的な豊かさを追求するという経済至上主義の下では必然的でした。
 戦後は西洋文明(特にアメリカ)へのキャッチアップを国是として工業化・産業化をテコとして経済成長が進展し、戦後民主主義のもとで大衆化社会へと向かう状況が到来するなか、社会構造自体が教育を投資と考え教育を媒介とした上昇志向の国民を生み出していく。戦前の高等教育からは疎外されていた国民が、「よい教育・よい会社・よい収入」という発想のもと、わが子には「少なくとも高校までは、あるいはできれば大学へ」と考える上昇志向はリアリティをもつことができました。ほとんどすべての子供にとっても、勉強しなければならないと考えることに迷いの生じる余地はなかったと言えます。つまり教育をめぐって「国民的物語」とも言うべき合意がありました。
 ところが1980年代からは学校の荒廃が進み、特に80年代後半からのバブル以降、校内暴力、いじめ、不登校などの現象とともに、学校の機能不全が顕在化します。西洋文明(アメリカ)へのキャッチアップは経済面ではほぼ達成され、戦後の高度経済成長期にあったような、「国民的な物語」が成立不可能な時代になったということです。
 さらにバブル崩壊の後に明らかになった「戦後日本システム」の失墜による社会の不透明化とそのもとでの無力感が追い打ちをかけ、親にも子にも「勉強しなければならない」ことへの動機が失われてしまったと思われます。
 何をめざすのかという「国民的合意」がないまま、価値観が多様化(拡散)していった今日、学校がかつてと同じであっていいのかという問いの中で教育改革が叫ばれてきたのです。
 教育を取りまく環境の変化は主に国内要因によるものですが、他方で1990年代以降のグローバル化の進展のもとでの国外、外部要因も「教育改革」を後押ししています。地球規模での「知」をめぐる競争です。
 このように国内外の多くの要因に規定されながら、「教育」は改革されていきました。大学は、国立大学が独立行政法人化したり、大学院重視、教養重視、地域の教育重視、職能重視などに多様化したりなどし、中等教育においても、私立の中高一貫だけでなく公立の中高一貫もでき、「大検」が高卒認定に変わり、初等教育においても、学区にとらわれないで小学校を選択できる可能性などなど。
 これらの改革を通じて学校は生き生きとした場として子供の希望となり、教育の機能が目に見えて改善されていきました。

 夕方の冷気によって目が覚めると、「COSMO news」が目の前にあり、夢を見ていたことに気づきました。

Read More
TOP

11・26合同授業を終えて2

11月26日合同授業を終えて1のつづき。

マルクスやアレントを下敷きにして、労働と仕事の違いや労働の価値の変化などもっと詳しく述べましたが、ここでは繰り返しません。宮崎さんと西城さんの話がこの社会での「就職」の実態へとかなり具体的な方向にいきました。次に名古屋で起業した人の具体的な苦労話および希望をはさんで、塾生をふくめた討論へ。自分のしたいことを探す、もしくは興味関心のあることを見いだそうという流れになっていったところで、僕の体験をふまえ私見を述べました。

だれもが、したいことや興味関心のあることを持っているわけではない、そのときは今しなければならないことをともかくやり続けることが大事ではないかと。また、教師にだけはなりたくないと思っていた僕が、生活のために塾の講師を始めそうして現在に至っているが、その中で工夫しながら仕事をしているうちに苦労とともに充実感も得られてきたししたいこともはっきりしてきたと。自分のしたいことが明確でそれを追求し続けることのできる人は当然幸せだ。しかし、しなければならないことを引き受け努力する中でしたいことやおもしろさや充実感も見えてくる、むしろこちらの方が多いのではないか。松尾芭蕉ではないですが、一つのことをずっと追い続けることで得られるものそして見えてくるものがあると思います。

そんな話をしてきました。

Read More
TOP

11月26日合同授業を終えて1

11月26日河合塾千種校(中部コスモ)で合同授業を行いました。結城はそこで、労働(labor)と仕事(work)の違いをカール・マルクスとハンナ・アレントの議論にそくして述べてきました。近代以降のブルジョアジー主導の国家・社会のもとでは労働に価値を見いだしていきますが、ギリシアのポリスにあっては労働とは価値のないものであり主に奴隷にまかせていました。ギリシア以来の価値が近代になって転倒したわけです。ギリシアのポリスでは、オイコス(家計に意で後のeconomyの語源)は蔑まれ、公共善について議論する政治こそが価値あることとされました。経済活動によって歴史に登場してきたブルジョアジーが中心となった近代では、経済こそが政治の主要な課題となり、それに伴って富を生む労働の価値が高まっていったのです。

Read More